「どう為された? 逃げてばかりでは前には進めぬぞ」
「ちいっ!」
青龍に立ち向かいし柳也殿でしたが、青龍に対する恐怖心を拭い去ることは叶わず、ただただ逃げ回るばかりでした。
「然るになかなか素早い動き。この姿では捕え切れぬか……」
逃げ回ると言っても、柳也殿の動きは常人の三倍以上。流石の青龍もその動きは捉えられぬようでした。
シャアアア!
刹那、再び青龍の身体が輝き出しました。輝きし身体は徐々に大きくなり、青龍の姿は、人の身の丈の五倍はあるであろう化け物へと変化しました。
「何ぃ!?」
その姿に、柳也殿の恐怖心は拭い去られるどころか、ますます高まって行くのでした。
「恐竜というのは多種多様。人と同程度の大きさのもいれば人を遥かに凌駕する大きさのもいた。この巨大さに人に非ざる人は恐怖したのだ。
そう、この巨大さこそ恐竜が与えし恐怖の本質よ!」
バキバキバキ!
多数の木々を折りながら青龍は柳也殿に迫って行きました。
「ぐっ、ううっ……」
その巨大な姿に柳也殿はただただ恐怖し、逃げ惑うことしか叶いませんでした。
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巻十「母子の再會」
「柳也殿、もうよい! 人も翼人も恐竜という生物に対する恐怖心は拭い去れぬのだ。余は母君に逢わなくともよい。ここは退くのだ」
ご自身も恐怖心を拭い去れず、また、逃げ惑うことしか叶わぬ柳也殿の姿に堪えかね、神奈様は退きになられた方が良いとに柳也殿に仰られました。
「否、我は引き下がらんよ。神奈との約束を果たすまでもう少しなのだ。お前との約束を破るわけにはいかん!」
「柳也殿……」
柳也殿のお心の何処かには、この場からお逃げになりたいお気持ちがあるのでしょう。されど柳也殿はそのお気持ちを抑えてまでも神奈様とのお約束を果たそうと為さいました。その柳也殿のお心遣いに神奈様は胸を打たれたのでした。
「心意気は立派ですな。されど、この青龍をどうやって打ち倒すつもりですかな?」
青龍のいうことはもっともでした。今まで柳也殿はただ逃げ惑うばかりでした。現状では柳也殿に挽回の策はないように思えます。
バキバキバキ!
策の思い当たらぬ柳也殿は、相も変わらず逃げ惑うだけでした。その間にも青龍の容赦なき攻撃は柳也殿に降り掛かり続けるのでした。
「……。確かに、我が人である限り恐怖心を完全に拭い去ることは叶わんな……」
そう柳也殿が、諦めを漏らすかの如きお言葉を発しました。
「ほう、素直に引き下がりますかな?」
「されど、木々に恐怖心はあるのであろうかな?」
「何を!?」
ズザザザザ……。
刹那、青龍が折りし木々が一斉に再生され始めました。そしてその木々は巨大化した青龍の身体に突き刺さりました。
「ぐふっ、これは……」
「我が力により木々を治癒した。巨大化したのが仇となったな、青龍」
「見事。天照力をこのような形で使うとは……」
「はぁはぁはぁ……」
機転を変え青龍の動きをお止めになられし柳也殿でしたが、息は荒く顔には疲労の色が見え始めておりました。無理もございません。人の身体より大きい木々を一斉に再生為さったのですから。いくら生物を治癒為さられるお力を持ちし柳也殿とはいえ、お身体にご負担が掛かることでございましょう。
「されど、この程度で儂を倒したとは思わんことですな」
そう言うと、青龍の身体は元の姿に戻り始めました。驚くべきことに、その身体は傷を負ってはいるものの、致命傷には至っていませんでした。
「何だと……」
苦労の末青龍に致命傷を与えたと思っていた柳也殿には、致命傷には至らなかった衝撃は大きく、暫くお言葉を口に出せぬご様子でした。
「実際に巨大化していたのは手足や身体の筋肉組織などで、内臓までは巨大化してはいなかった。それが幸いし五臓六腑まで木々は届かず、致命傷には至らなかったのよ」
「ちいっ……」
「さてさて、天照力の使い手とはいえ、あれだけの再生を一気に行えば余力は残っておりますまい」
「くっ……」
図星を突かれし柳也殿には、語るお言葉がありませんでした。やはり、先程のご行為はお身体にかなりのご負担を掛けたようでございます。
「さて、こちらから参りますぞ!」
自身も傷を負ってはいるものの、疲れにより多少の動きは封じられた。ならば戦況は自分に有利になった筈。そう判断せし青龍は、息を切らし始めし柳也殿に一気に詰め寄って行きました。
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「ちいっ、そう簡単に捕らえられはせんよ!」
息を切らしているとはいえ、機敏性では自分の方が優れている。現に今まで反撃は叶わなかったものの、青龍の攻撃からは逃れ続けていた。そうお思いになられし柳也殿は、息を切らしながらも今までと変わらぬ戦法で青龍から逃れようとしました。
ドゥヒューウ!
「何だと!?」
それは俄かには信じ難い行為でした。驚くべきことに青龍の首が長々と伸び、柳也殿に迫って行きました。
「ちいっ、巨大化の次は妖怪変化かっ!?」
まるでろくろ首の如く首を伸ばす青龍。その巨大化以上に奇怪な行動に気圧され、柳也殿の動きは一瞬止まってしまいました。
シュルルルル!
その隙を青龍は見逃さず、柳也殿に長き首を巻付かせました。
ブウウン!
そして柳也殿を捕らえし青龍は、首を勢い良く回し柳也殿を投げ飛ばしました。
バキバキバキバキ。
「ぐはぁっ!」
そして柳也殿は数本の木々と共に地面へと倒れ込みました。
「恐竜という生物は何もただ巨大なだけではない。巨大な身体に長き首を持ちし恐竜もいた。今のはその長き首を再現したのだ。それに首を長くするだけなら巨大化するよりは負担が少ないのでな」
「はぁはぁはぁ……」
青龍の与えし一撃が深い手負いとなり、柳也殿は倒れしまま身体を動かすことさえ叶いませんでした。
「柳也殿!」
その満身創痍な柳也殿のお姿に堪え切れなくなりし神奈様は、悲痛なお顔で柳也殿のお側にお近付きになられました。
「柳也殿、しっかりなされよ!」
神奈様は柳也殿に寄り添う形でお膝を曲げ、左腕を柳也殿のお背の方へ回し、抱きかかえるように柳也殿のお身体を軽く起こしました。
「神奈、案ずるな。今暫く待て。直に青龍を打ち倒し、お前との約束を果たす……」
「柳也殿。そんな身体でどうやって青龍を打ち倒すというのだ? 柳也殿、貴殿はよくやってくれた。されど、余はこれ以上そなたが傷付くのを見とうない!」
スッ。
「柳也殿……!?」
半ば涙目の悲痛なお顔の神奈様をなだめるかの如く、柳也殿は軽く神奈様のお顔にお手を差し伸べました。
「神奈、そんな悲しそうな顔をするな、直に母君に逢えるのだぞ? そんな悲しい顔をしていては母君に逢わす顔がないであろう……?」
「柳也殿……」
神奈様は柳也殿が無理に自分を励ましているのだと思われました。青龍に打ち勝てぬものの、神奈様を母君にお逢いさせたい。そのお気持ちから自分を励ましているのだと。
「……。かの行いが力が人の傷や病を治す行いに勝る行為だとは未だに信じられぬ……」
「柳也殿、何を言っておるのだ?」
「今まで我はかの行いを取るに足らんものだと思っていた……。だが、この状況下ではかの行為に頼らざるを得まい……」
ゴゴゴゴゴゴ……。
柳也殿がそう呟きし刹那、辺りに折れ倒れし木々が一斉に宙に浮かび始めました。
「これは天照力の本領……。その身体で尚これだけの行為が出来るとは……」
「我自身の恐怖心はついに拭い去ることが叶わなかった。然るに、我が力で動かしこの木々には恐怖心など存在せぬ。我は自ら動かずとも主を攻撃することが叶う!」
ズウウ、ビュ、ビュ!
宙に浮かびし木々が一斉に青龍にへと向かい始めました。
「ぬううっ!」
その木々を青龍は必死に避けようとしました。
「神奈、青龍の動きは見切っておるな?」
「うむ。青龍の動きは柳也殿と相対せし時と変わらぬ。右だ、柳也殿!」
「相分かった! はぁぁぁ〜〜っ!!」
神奈様のお言葉に従い、柳也殿は次に青龍が移動するであろう位置に一斉に木々を向けました。
ドカッ! ドカッ! ドカッ!
「!? ぬおっ!」
まるで自分の動きが予め分かっていたかの如く木々が動きしことに青龍は驚き、避ける間もなく青龍は木々の下敷きになりました。
「終わったか……。いや、まだだな……」
青龍を打ち倒したのをご確認為さった柳也殿は、残されしお力を振り絞り、倒れし木々の再生を為さいました。
「柳也殿、青龍は?」
「案ずるな。目を覚まさぬ程度に最低限の傷は治した。あれだけの強敵とはいえ、神奈の母君の手の者である以上、やはり命までは取れぬからな」
「柳也殿、真に大儀であった……」
神奈様は軽く抱き上げていた柳也殿を、自分のお膝にそっとお乗せになられました。
「神奈……」
「疲れたであろう、柳也殿。今暫く余の膝で休むのだ……」
「まさかお前の膝で休むことになろうとは、夢にも思わなかったな。だが、それも悪くはない……」
神奈様のご好意を柳也殿は素直に受け、神奈様のお膝で静かに休み始めたのでした。
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「柳兄者、無事か!?」
「柳也殿!」
それから半刻程経ちし時、私と頼信殿は柳也殿の元へ追い付きました。
「柳也殿……」
駆け付けし私の眼前には、神奈様のお膝の上で眠りに就いている柳也殿のお姿がありました。柳也殿は何と安息なお顔で眠っていられるのでしょう。その柳也殿のお顔を見つめる神奈様のご表情もまた、愛しき君へ向けるお顔でした。
今のお二人のお姿を見れば、誰の目にも恋人同士の姿に見えることでしょう。私が懸念したように、お二人の絆はより硬くなっている。その現実を目の前に、私は掛ける言葉もありません。
「二人とも、追い付いたな」
そんな私の気持ちも知らず、柳也殿は目をお覚ましになられました。
「柳兄者、その様子だと相対した者は余程の強敵のようだな」
「ああ、青龍という者だった。並々ならぬ強敵だったが辛うじて打ち倒せた。これで後は朱雀だけだな」
「朱雀か。一体どのような者なのであろうな?」
最後の四神、朱雀。それは今までの四神から連想するに、鳥の姿に変化するのでしょう。
「鳥の化物、いや、もしかしたなら翼人に似て非なる者に変化するかもしれぬな」
確かに柳也殿の仰るよう、朱雀は神奈様の如き翼人の姿に変化する者であるような気が致します。
「神奈の母君以外の翼人の可能性もあるかもしれぬが、ともかく先に進んでみるしかないな」
半刻の休憩で柳也殿のお疲れも大分回復されたようで、私達は更なる森の奥へと進んで行きました。
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「この気配は……」
半刻程森を歩きますと、柳也殿が何者かの気配を感じ取り、足をお休めになられました。
「朱雀の気配を感じたのか、柳兄者?」
「……」
頼信殿が柳也殿に声を掛けましたが、柳也殿は気配をお感じになられるのに集中し、返事を返しませんでした。
「間違いない、この懐かしき気配は……」
「一体どうしたのだ、柳也殿?」
お身体を震わせ、何かを懐かしむが如きお顔になられる柳也殿。そのお顔は今までの見たこともないくらい純粋で、無垢なお顔でした。そう、まるで童子の如く……。
「貴方方が、神奈様をお連れして来た者達ですね」
そんな時、森の奥から赤き法衣を纏いし僧が姿を現しました。声や姿からして年老いた尼のようです。
「赤き法衣。ということはこの尼が朱雀か」
今までの四神は皆、変化する四神の色をした法衣を纏っておりました。ならば頼信殿の仰られるように、この尼が朱雀の可能性はあります。
「そのお声、お姿、間違いない……。は、母君……」
その時、柳也殿が驚くべきことを口に為さいました。
「!? その声……、まさか、広平……」
「は、母君……。お逢いとうございました〜〜」
そう、赤い法衣を纏いし尼は、柳也殿の母君であらせられる藤原祐姫様だったのです。母君のお姿を前にせし柳也殿は、童子の如く泣き出し、抱き付く勢いで母君の元へ近付いて行きました。
「は、母君……」
祐姫様のお姿に違和感を抱き、柳也殿は足をお止めになられました。
「母君、もしや目が見えぬのですか……」
祐姫様のお顔をよくよく見ますと、その眼には光が差し込んでおりませんでした。
「何という……、ようやく、ようやく出逢えたというのに……」
二十数年振りに逢えた母君の目が見えていらっしゃらないことに気付き、柳也殿は酷く落胆したご様子でした。
「然るにご安心下さい、我の力を持ってすれば母君の目を見えるようにすることなど、造作もないこと……」
「広平、この目は私自ら見えなくしたのよ……」
「な、何ですって……!?」
祐姫様のお言葉が信じられず、柳也殿はご自分の耳をお疑いになられました。
「な、何故そのようなことを為さったのです、母君!?」
「貴方が神奈様をお連れした者である以上、貴方に話すことは何もありません。神奈様を連れて高野から立ち去り為さい、広平!」
「折角、折角母君に出逢えたというのに、何故立ち去れと申されるのですか……?」
「今の私は月讀姫様にお仕えせし、四神の名を冠し者の一人、朱雀。故に貴方には立ち去れとしか言いようがないのです……」
「なっ、母君が朱雀……!?」
二十数年振りに再会せし母君が、最後の四神である朱雀。その事実に柳也殿は愕然としました。
「夢破れし私は、この高野で月讀姫様と出会い、四神の一人として生きて行くと決めたのです」
「四神の一人として生きて行くですとっ!? 都にお戻りになられるというご意志はないのですか……!?」
「ええ私は祐姫という名も、貴方を東宮にするという夢も捨てました。今の私は月讀姫様にお仕えせし朱雀でしかないのです……」
「そんなことを申されないで下さい! 我は神奈を神奈の母君に会わせし後、母君を捜し出し、都へとお連れしようと思っておりました。
我が東宮となり母君を都へとお迎えする準備は整ったも同然なのです。もう少しで、もう少しで我等の夢が叶うのですよ!? それでも、それでも尚母君は都へは戻られぬと申されるのですか!」
「ええ……」
「ならば……ならば、我のこの二十数年は一体何だったというのです!? 宮中から草薙の太刀を盗み出したのも、広平という名を捨て柳也という男として生きて来たのも、全ては母君を都へとお連れせんが為!
その為だけに我は今の今まで生きてきたのです。我にとっての全てである母君の為にっ……」
母を都へお迎えする為に捧げし柳也殿のご生涯。そのご生涯を母君自身に否定され、柳也殿は悲痛な想いで地面へと泣き崩れました。
二十数年抱きし成就まで後一歩だった柳也殿の夢は、こうして果てたのでした……。
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「広平、月讀姫様は時が来れば神奈様をご自分の元へお迎えすると仰っているのです。何も一生逢えないというわけではないのです。ですから広平、今すぐ神奈様を月讀宮へお連れ帰しなさい」
あくまで四神の一人としてのお立場を貫く祐姫様は、改めて柳也殿に神奈様を月讀宮へお連れ帰すよう仰られました。
「時が来れば? それは一体何年程なのです?」
「人の刻にして百年……」
「なっ、百年ですとっ……!?」
それは翼人の刻としても十年余りとなります。人と翼人の刻に違いはあれど、それが長き刻であるのに変わりはありません。
「それは出来ませぬ!」
「広平……」
「生まれてこの方母君の顔すら見たことのない神奈にあと百年も待てとはご無体にも程があります! この神奈にこれ以上我の如き想いを抱かせたくはない!!」
母君と別れたままのお苦しみが柳也殿には誰よりもご理解出来るのでしょう。故に神奈様を月讀宮へお連れ帰すのがご自分の母君の願いだとしても、柳也殿は素直に受け入れることが叶わないのでしょう。
「そう。ならば広平、私を倒して行きなさい!」
「なっ……」
「何度も申しているように、私は四神の一人朱雀なのです。故にこの先に貴方を進ませることは出来ません。それでも尚進みたいというのであれば私を倒しなさい!」
「……」
柳也殿は沈黙致しました。無理もございません。己の全てである母君を打ち倒すことなど、柳也殿に出来る筈ないのですから。
「柳也殿、もう良い。そなたも母君に手など出したくはなかろう? 余があと百年待てばよいだけなのだ。だから、もう……」
「神奈、お前は母君に逢いたくないのか!?」
「逢いたいに決まっておろう! されどその為にはそなたに辛き想いを抱かせぬばならぬのだぞ! 余はこれ以上柳也殿を苦しませたくはないのだ!」
「そうか。分かった……」
「柳也殿……」
「我もこれ以上お前を苦しませたくはない。母君、御免っ……!」
刹那、柳也殿は素早い動きで祐姫様の元へ動き、祐姫様の鳩尾に強烈な拳を食らわせました。
「うっ……」
「申し訳ありませぬ、申し訳ありませぬ、母君……」
「それでいいのです、広平。それが貴方の道なら母に構わず歩むのです……。それが今の私の願い……」
そう言い残し、祐姫様は意識を失ったのでした。
「柳也殿、すまぬ、本当にすまぬ……」
神奈様を神奈様の母君にお逢いさせる為に、ご自身の母君と相対せし柳也殿。それは柳也殿ご自身だけでなく、神奈様にとっても辛きことだったのでしょう。
「理由はどうあれ、我は母君と再び出会えたのだ。悔いはない。今度はお前の番だ。行こう、神奈。お前の母君の元へ!」
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「うぬぅ……」
母君の元へ向かっているというのに、神奈様のお顔は困惑気味でした。
「どうした、神奈? 直に母君に逢えるというのにあまり嬉しそうではないな」
「いや、母君は余を拒絶しているのかと思ってな……」
神奈様が母君に拒絶されているのではないかと思うのも無理はございません。長年月讀宮に住まわせ、ご自分で母君の元へ参られようとすれば、立ち去るように言う。祐姫様の言に従えば、百年後にはお迎え為さるとのことでしたが、それでも尚、神奈様の母君は神奈様を拒絶しているのではないかと思わざるを得ません。
「母君は余を愛してはおらぬのか……? それに母君は一体何者なのだ? あの四神の変化は母君が与えし力なのか? 分からぬ、余には何も分からぬ……」
「そう嘆くな神奈。母君がお前と逢いたがらないのには訳があるのだ。それだけで愛されておらぬと嘆くのは早計よ。それに、我には神奈の母君が何者であるか大よその検討はついておる」
「真か、柳也殿!」
「然り。我が母君のお言葉に従うならば、神奈の母君は月讀命の子孫であろう」
月讀命。それは皇祖神であらせられる天照大神とその弟であらせられる須佐之男命と同じく、伊耶那岐命より生誕せし三貴士のお一人です。我が国の神話を記せし『古事記』や『日本書紀』にも詳しい記述はなく、謎多き神とされております。
「我が力の名が天照力と言うのならば、それは伝説上の皇祖神が実在したことになる。そしてそれは同時に月讀命も実在していたことになろう。
神奈の母君が始祖と同じな名なのは気になる所であるが、名を語り継ぐのが月讀の系譜の者共の習わしなのかもしれぬ」
「ん? 天照と月讀は兄弟な筈。ということは……」
天照と月讀が兄弟であるということに、神奈様は何かを感じたようでした。
「うむ。我と神奈は遠き先祖において血が繋がっているということになるな」
柳也殿と神奈様が血が繋がり者同士。柳也殿のそのお言葉は、私に冷たき刃として突き刺さりました。そう、その繋がりが柳也殿と神奈様をこれ程までに惹き合せているのでしょう……。
「ならば我と柳也殿は兄妹ということになるな」
「もっとも、神武即位の年からでも既に千六百年以上経っておる。血の繋がりといっても、繋がっておったのは二千年以上前のことだ」
「うむ。しかし血が繋がっているということも確かなのだろう? 柳也殿が余の兄か……。それも悪くはないのぅ」
神奈様の柳也殿に対する想いは、あくまで妹が兄を慕う想いなのでしょう。神奈様が柳也殿を兄と慕う限り、若干なれど私が付け入る隙はあります。されど、柳也殿が仰るように、お二人のご血縁関係は千六百年以上遡ります。それだけ遡れば血縁であることが結ばれる障害にはなりません。
もしも、神奈様のお気持ちが妹のお気持ちではなく、恋人のお気持ちに移り変わるとすれば……。その時こそ私が柳也殿に付け入る隙はまったくなくなるのでしょう……。
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「この奥に母君がおるのか、柳也殿……?」
「間違い無い。この奥から神奈と似た気配を感じる。然るにここは……」
森の奥へと進んで行くと、そこには森の中へ開けた洞穴がありました。その洞穴はどこをどう見ても止む事無きお方がお住まいになられている場所には見えません。
「入り口に蝋燭が置かれているな。これを使って中へ入るとしよう」
入り口には高野の僧が使っているであろう蝋燭の束が置いてありました。その蝋燭を柳也殿が持ち、私達は洞窟の奥へと進んで行きました。
「っ……」
洞窟の奥へ奥へ進んで行きますと、蝋燭の明かりに女性の顔が照らし出されました。その容姿は四十から五十代のお顔で、美しい目をお持ちでした。
「は……母君なのか……」
神奈様には、直感的にそのお方がご自分の母君であると理解出来たようです。長年お逢したいと思っていた母君にようやく出逢えた。そうお思いになる神奈様のお顔には、自然と再会の涙が溢れ出して来ました。
「神奈、私に逢ったのが嬉しくて泣いているのですか?」
それが月讀姫様の一声でした。そのお声は一切の感情を持たぬ如き酷く冷たい声でありました。
「こうして母君に出逢えたのだ……。泣かずして、ううっ……」
嬉しさのあまり神奈様のお声は嗚咽へと変わり、神奈様は心の底から涙を流し続けました。
「人との再会において涙を流すのは、ヒトの自然的な感情表現の一つ。背中に羽が生えていたから可能性はあると思っていたけど、やはりヒトと交わりし子か……」
「なっ、何を言っておるのだ、母君……?」
心の底から再会に涙を流す神奈様に対し、神奈様の母君は状況を客観的に分析しているかの如き、抑揚のない冷たき声でした。
「ヒトと交わりし子は、この月讀の如く感情を完全に消し去ることは出来ない。神奈はやはり失敗作ね」
…巻十完
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※後書き
ようやく十話に突入しましたね。今の所十五話で終わらせる予定ですので、これで三分の二が終わりました。
今回、柳也のヘタレ化が進んできましたが、その辺りもシャアということで(笑)。四五といういい年した中年なのに母君と再会して大泣きする辺りのマザコン振りは、シャアよりイタイですね(爆)。
ちなみにやたら「恐怖心」がどうのこうの言っているのは、「オンドゥル」の影響を受けております。元々変身の設定そのものが「龍騎」の影響だったりするので、仮面ライダー繋がりですね。
さて、次回では一連のシリーズにおける翼人の設定が語られます。基本的には原作の「記憶を継ぐ者」という設定はあるのですが、その記憶を継ぐ目的やら行為が違います。まあ、翼人という設定が原作より矮小化されているのは確かですね。
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巻十一へ
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